みんなが幸せになる経済と社会のしくみを考えよう

資本主義に替わる理想的な社会システムと未来のビジョンを提示します

プレゼンテーション動画用の文章(約8000字)


.:*:・☆.:*:・'゜'・ .:*: はじめに ・☆.:*:・'゜'・.:*:☆.

金融恐慌、貧困問題、格差問題、若者の就職難、毎年3万人を超える自殺者、膨らみ続ける財政赤字、少子高齢化、環境問題、エネルギー問題、進まない震災復興、天下り、汚職、治安悪化など。
こんな日本に未来があるでしょうか?
同様の問題を抱えている世界にも未来が見えません。
この問題解決の糸口はどこにあるのでしょうか?
既存のどんな政策もこうした問題を根本的に解決することはできません。
主要国の首脳がいくら会談をしても、解決方法は見つかりません。

その原因は、資本主義という社会システムに欠陥があり、矛盾があるからではないでしょうか?
もはや解決方法は「資本主義社会というやがて沈みゆく運命の船」から「新しく設計された理想的な船」に乗り換えるしかありません。
つまり、社会システムを根本的に変えるしか解決方法はないのです。

では、その理想的な社会システムとはどのようなものでしょうか?
ここで紹介するのは、資本主義でもなく、共産主義でもない、全く新しい理想的な社会システムです。
その新しい社会システムは驚くほどシンプルで、無駄のないもので、理解するのも難しくありません。
得てしてホンモノはシンプルなものです。

近年、蚊を研究して、痛くない注射針を開発するなど、自然の叡智に学ぼうというバイオミメティックス(生体模倣)という考えが注目されています。
その新しい社会システムは人体の構造を模倣して構築されたので、「生体社会システム」と名づけられました。

血液が人体の全細胞に行き渡る仕組みを経済に応用すると、全ての人々にお金が行き渡る社会が実現します。
また、臓器や器官が人体のために働き、人体がそれらを生かしている仕組みを社会に応用すると、理想の企業のあり方が見えてきます。
さらに応用すると、脳の判断システムは政治のあり方や選挙のあり方に、神経伝達の仕組みは理想のマスメディアのヒントになります。



.:*:・☆.:*:・'゜'・ .:*: 生体社会論の経済論 ・☆.:*:・'゜'・.:*:☆.

私たちは資本主義という競争社会で、市場を奪い合い、顧客を奪い合い、職を奪い合い、権益を奪い合い、マネーを奪い合います。
こうした非生産的な競争は避けられないのでしょうか?
考えてみれば、家事労働は江戸時代に比べてはるかに楽になりました。
それは電気や水道といったインフラ整備や、洗濯機や電子レンジのような便利な家電製品のおかげです。
しかし、資本主義社会では、利益を得るために、仕事を奪い合うという、過酷で非生産的な競争が繰り広げられます。
生体社会論が描く社会像は、資本主義社会システムのような、奪い合いの殺伐(さつばつ)とした「競争社会」ではなく、家事労働のように、社会全体で必要な仕事を公平に分け合う「協力社会」です。

そういう考え方ですので無駄な労働や競争が激減し、失業率が高いことが問題になりません。
失業率が高いということは、社会で必要な労働力が既に足りているということなので、それで困るのはむしろ奇妙で、それは資本主義の仕組み自体に欠陥があることの証明です。


では、血液が身体(からだ)の隅々の細胞にまで行き渡るように、全ての人々にお金を循環させるにはどうすればいいのでしょうか。
日本が生体社会論に基づく社会に移行した未来の様子を少し覗いてみましょう。

・20XX年、日本の既存のお金は全て電子マネー化された。個人には1つだけの電子マネー口座が与えられ、それが財布として使われるようになった。
・その口座には上限があり、○千万円までしか貯蓄できない。
・さらに、その口座の残高は月をまたぐごとに1%ずつ減る。つまり、100万円は翌月になると99万円になる。
・上限を超えた分と毎月の減価分は税金として自動的に徴収される。
・その税の一部分はベーシックインカム(基礎所得)として還元され、全ての国民に無条件で配布される。
・残りの税は社会全体のために使われる。


これを人体になぞらえて説明してみましょう。
細胞に栄養や酸素を運んでくるのは血液のみで、他(ほか)にはありませんので、お金を全て電子マネーとして、個人に1つの口座で管理します。
細胞は、栄養や酸素をいくらでも蓄えておくことはできませんし、私たちも満腹以上は食べられません。
ですから、その電子マネー口座にも上限を設け、それ以上はお金が貯められないようにします。
赤血球の寿命は約120日ですし、全てのものには寿命があり、生々(せいせい)流転(るてん)するのが自然の摂理です。
ならば、お金もそれが交換される製品と同様に、徐々に劣化していくとしても不思議ではありません。
お金には財やサービスと交換するという「交換機能」と簡単に貯めておけるという「貯蔵機能」があります。
そしてその両者は二律背反の関係にあって、交換している時には貯蔵していないし、貯蔵している時には交換していません。
お金がよく循環する状態が好ましいので、お金が減価するということ、つまり貯蔵機能を弱めることは、交換機能の増進につながり、景気が良くなります。
もし野菜が腐らなければたくさん貯めておくかもしれませんが、腐ってしまうので、私たちは互いに分け合うのです。

口座の上限を超えた分と毎月の減価分は税として、コンピュータによって自動的に徴収されます。
資本主義社会では、税の徴収にも、申告にも莫大な手間と労力がかかりますが、生体社会ではほぼゼロコストで平等で完全な税の徴収が可能となります。
しかも、生体社会での税は、この2種類のみなので、非常にシンプルな仕組みです。

全ての細胞に無条件で血液が行き渡るように、全国民にベーシックインカムという基礎所得が毎月支給されます。
生活保護や年金や子ども手当てはこの基礎所得に置き換えられます。
残りの税は、道路整備、図書館などの福祉施設の運営、警察官や消防士の給料など、社会全体で必要な費用に充てられます。
適度に労働意欲が刺激されるため、仕事を奪い合うのではなく、仕事を分かち合う社会、お金が循環する社会がこれらの仕組みによって実現します。


生体社会では、お金が減価していくために、お金の力が弱まります。
私たちの欲には、「食欲や睡眠欲のように、限りがあり、生命に直結した欲望」と「名誉欲のように、限りがない欲望」があります。
貯蓄額を制限することによって、金銭欲が限りない欲望から、限りのある欲望になって、私たちはお金の呪縛から解き放たれます。
人間関係も治安も良くなります。
この経済システムが世界に広まれば、飢餓の撲滅も夢ではなく、経済が原因で、国と国が争うこともなくなるでしょう。
一国の利益が他国の犠牲の上に成り立つという仕組みでもなく、他国に物を売り込んで、その国からお金を吸い上げようという仕組みでもないからです。



.:*:・☆.:*:・'゜'・ .:*: 生体社会論の企業論 ・☆.:*:・'゜'・.:*:☆.

経済論では、血液はお金にあたり、細胞は人にあたりました。
では、人体の臓器や器官は何に相当するでしょうか?
人体に必要な仕事を担うもの、つまり、企業にあたります。


次は、臓器や器官の仕組みを企業に応用したらどうなるかを考えてみましょう。
① 臓器の目的が人体に必要な仕事をすることであるように、企業の目的も社会貢献を第一とする。
② 臓器は人体にとって必要不可欠な存在であるため、人体が臓器を生かすように、生体社会の企業は社会にとって必要な存在であるため、その存続の責任は企業が負うのではなく、社会がその責任を負う。
③ 2つの肺が互いに仕事を奪い合うことがないように、企業は無駄な競争をせず、協力する。(原則として独占企業にする。)
④ ベーシックインカムが保障されているので、職は保障しない。(健全な競争が生じる。)
⑤ 神経やホルモンなどにより、臓器の状態がモニタリングされ、管理されるように、経理や業務内容は可視化(かしか)される。
⑥ 肝臓がより多くの血液の供給を求めて、人体に飲酒を促すことがないように、企業は無駄な消費を喚起(かんき)しない。
⑦ 投資や投機、利子を取ることを禁止する。(社会に貢献せず利益を得る行為を禁止する。)


以下に①~⑦を解説します。

① 企業の目的は社会貢献と社員への貢献
資本主義社会の企業は「利潤の追求」、「株主への配当」、「社員の雇用」、「社員に対する給料の支払い」、「社会貢献」、「利益を出し続けることによっての会社の存続」、「税の正しい申告」といったいくつもの目標を同時に達成する必要があります。
だから、いくら「社会に貢献」などと綺麗ごとを言っても、結局は利益至上主義になるのです。
それに比べ、生体社会での企業の目的は「社会貢献」と「社員への貢献」だけしかなく、非常にシンプルで、しかもその両者は矛盾するものではありません。

② 企業の存続の責任は社会にある
資本主義社会では収益性が良く強い企業は生き残り、収益性が悪く弱い企業は淘汰(とうた)されます。
企業は株主への配当を確保するために、社員の雇用を守るために、社員に給料を支払い社員の生活を守るために、何が何でも競争に勝ち抜き、存続し続けなければなりません。
そのような激しい競争にさらされている民間企業がある一方、雇用が保障され、競争が全くない公的機関もあります。

資本主義社会では、株式会社は株主のものであって、株式会社の使命は会社の価値(時価総額)を上げ、株主に利益を配当することです。
株主たちは、「自分たちのお金で作った会社で、リスクも引き受けるんだから、利益は自分たちが得て当然だ」と主張します。
一方、人体の臓器は存続を維持するために、自力で血液を呼び込む必要はありません。
ですから、生体社会では、企業は株主のものではなく、社会全体のものですし、それがなくて困るのは私たち自身なので、社会がその企業の存続を保証します。
社員はその企業を手段として社会に貢献し、その貢献に応じた報酬を得ます。
企業は社会貢献を成し遂げるための道具でいいのであって、その道具は社会が準備すればよく、その道具の持ち主に配当を与える必要はなく、その道具を使って働いた人に報酬を支払うという考え方です。

火災が発生しなくても消防署の職員に給料が支払われるように、生体社会では、社会に必要な企業は常に仕事がなくても、社会が税できちんと守ります。
資本主義では建設業者は何とかして仕事を受注しようと、談合をしたり、政治家に働きかけたりして、無駄な公共事業をさせようとしますが、生体社会での建設業者は、必要とされる時の準備ができていれば、仕事がなくても、基本的な給料は貰え、仕事があればさらに給料が増額されます。
食後には胃に多くの血液が集まり、飲酒後は肝臓に多くの血液が集まるのと同様です。

誰にも真似できない技術を持つ中小企業の資金繰りがうまくいかず、倒産するケースも珍しくありません。
そうした企業がなくなるのは社会全体の損失で、こういった企業こそ社会全体で守っていかなければなりません。
他方、たいした仕事をしていない公務員や独立行政法人などの機関も数多く存在し、それらは税で守る価値もありません。
理不尽だとは思いませんか?

③ 合理化のために企業が統合される
資本主義社会では企業は市場の奪い合いや顧客の奪い合いをします。
肺や腎臓は2つありますが、それらは協力して働き、互いに競合するものではありません。
企業が統合することにより、スケールメリットが働き効率が良くなり、商品価格のかなりの割合を占める莫大な広告宣伝費や営業員の人件費が不要となり、低価格化が実現します。
宅配便業者が1社になれば宅配便業者全体の労働量が減り、それに伴いガソリンなどの資源の消費が減り、渋滞も緩和され、単価が安くなります。
携帯電話会社や保険会社でも同様で、消費者の奪い合いがなくなり、消費者本位の分かりやすい料金体系となり、善良な企業かどうか悩む必要もなくなります。

④ 職が保障されないことにより、適切な競争が行われ、適材適所で人材が生かされる
生体社会では職が保障されません。
こういうと、資本主義社会より後退するように思うかもしれませんが、そうではありません。
たとえ職を失っても基礎所得があるので、貧困に陥ることはありません。

社会は次の3種類に分類できます。
(A)全員の職業が保障されている社会。
(B)一部の人の職だけが保障され、他の人にはそれが保障されない社会。
(C)全員の職が保障されない社会。
の3種類です。

現代社会は(B)です。職が保障されている者はその身分にしがみつき、健全な競争が阻害され、甘えが生じ、コスト意識が非常に薄く、特権意識が芽生え、社会や他の人々を犠牲にしても自分たちが得をすればいいという考えになりがちです。
(A)は共産主義的な社会ですが、実現は困難だと思われます。
(C)は最も良くないように感じられるかもしれませんが、最も平等で、健全な競争が働きやすく、当然ながら実現も容易です。

生体社会では、基礎所得があるため、無理に職業にしがみつく必要はありません。
スポーツチームのように、有能な人やその職業に適した人がその職に就くようなります。
社長の息子であっても実力がなければ管理職にはなれません。
適切な競争は社会にとっても有益なこととなります。

⑤ 経理や業務内容が可視化される
企業の経理も1つの電子マネー口座で管理されるため、面倒で非生産的な経理の仕事はなくなり、見積書や請求書や領収書を作成する手間も省かれます。
企業は公共のものなので、経理は原則として全てネット上で開示されます。
その経理を見ることによって、その企業の業務内容を知ることができるので、下請けに仕事を丸投げしているだけの企業や現在の独立行政法人のような不要な法人は廃止されます。
また、葬儀業などの人の弱みにつけこむ企業は適正な価格に指導され、逆に割の悪い仕事を強いられている企業の従業員の給料は税で補います。
つまり、割が良い仕事と割の悪い仕事を財政支援によって、平準化するのです。

⑥無駄な消費を喚起する必要がなく、売り上げノルマがない
資本主義は、個人や企業が消費することでお金を循環させる仕組みです。
しかし、生体社会ではシステムが自動的にお金を循環させますし、企業の存続は保障されているので、企業は無理に消費を喚起する必要がありません。
資本主義社会では、家庭レベルでは倹約するべきなのに、みんなが倹約すると不景気になるという「合成の誤謬(ごびゅう)」と呼ばれる矛盾が生じます。
これは資本主義のシステムそのものが間違っていることの証の1つです。
生体社会での企業は優れた商品やサービスを開発し、それらを滞り無く社会に提供してくれるだけでいいのです。
資本主義社会ではお金を受け取る側がペコペコし、支払う側は大きい態度をとりがちですが、生体社会では商品やサービスとお金が対等に交換されるので、支払う側も感謝し、互いに気持ち良い関係になります。

資本主義社会で言う仕事とは「お金を儲けること」です。
ですから、どんなに社会に貢献的であっても、収入がなければボランティアでしかありません。
逆に、社会にとって何ら貢献的でなくても、収入があれば仕事と言われます。
A社の顧客をB社の顧客に引き抜く営業の仕事は社会全体から見ればほとんど意味はありません。
お金を運用して利益を得ることは社会にとって貢献どころか、マイナスでしかありません。
もし神様があなたの活動をもとに、給与額を査定したなら、あなたの給与は今より増えるでしょうか、減るでしょうか?

消費が促されないので、売上ノルマもなく、公正な商品情報が得られ、うんざりするようなテレビCM合戦も、電話営業や訪問営業も、迷惑メールもなくなります。
その分、私たちに本当に必要な情報が入ってきますし、当然ながら商品の価格も下がります。

働けば働くほど給料が増えるのは資本主義と同じですが、お金の力が弱いため、お金をめぐっての過酷な競争がなくなり、互いに仕事を分け合うようになります。
生体社会は、過度な競争の資本主義社会と勤労意欲のない共産主義社会の中間的な位置づけです。

⑦ 投資や投機、利子を取ることを禁止する
人体には投資や投機といったお金にお金を生ませるような行為や人をテコにして儲ける仕組みはありませんので、それらは禁止されるべきです。
資本主義には信用創造という仕組みがあり、銀行が貸したお金に利子をつけて返済させることによって、どんどん数値化されたお金が増えていきます。
現在では、紙幣や硬貨といった実体のあるお金を遥かに凌ぐ額の数字化されたお金が全世界を駆け巡り、我々庶民の生活もそれによる被害を受けています。
借りた以上のお金を返済するためには、毎年経済が発展する必要があり、それが経済成長のノルマとなって我々を苦しめています。
資本主義を続ける限り、この経済成長のノルマからは逃げられず、このことだけでも資本主義が持続可能な経済システムではないことが分かります。
この生体社会論によって、私たちは経済成長のノルマからは開放され、持続可能な社会を実現することができるでしょう。

私たちはお金を食べたり、着たりして生きているのではなく、お金で交換される食料や商品やサービスで生きているのです。
1日に何億円も動かす証券マンは高い給料を得ていますが、彼らは社会に対して何ら具体的な貢献をしていません。
証券マンや銀行家は、「俺たちがお金を循環させている、世界の経済を動かしている」と言いますが、生体社会では、コンピュータが無報酬で、お金の循環をしてくれるので、そうした人たちの存在は全く必要ありません。
社会に具体的な貢献をしない人が莫大な収入を得る分、社会に貢献する人の生活が貧しくなるのは当然です。
社会貢献度の高い介護職員の方が証券マンよりも高い給料を受け取るべきではないでしょうか。

生体社会論に基づく社会は以下のようなことも実現するでしょう。
・貴重な人生をお金に振り回されることがなくなり、良心を偽ることなく、お金の奴隷から開放されます。
・財政収支の健全化は非常に容易です。(貯蓄上限額と減価率の微調整でよい。)
・省資源の社会が実現します。(無駄な労働が減少するため。)
・お金の流れが追尾可能なので、詐欺事件も起こりにくく、犯罪が減り、治安が良くなります。
・納税額は記録され、高額納税者ほど社会貢献度が高い人ということになるので、それが仕事の励みにもなります。
・貯蓄額上限に達する前に、自分が支援したい企業や個人に寄付する人が増え、寄付の文化が育ちます。
・決済は携帯電話と生体認証システムにより、簡単かつ安全に行われます。
・世界にこの理論が広まれば、飢餓の撲滅も夢ではありません。



.:*:・☆.:*:・'゜'・ .:*: 結び ・☆.:*:・'゜'・.:*:☆.

人体のシステムを経済や企業に応用して考えてみましたが、生体社会論はそれにとどまりません。
時間の都合で割愛しますが、神経伝達の仕組みや脳の意思決定の仕組みを社会に応用することもできます。

私たちの遺伝情報はデジタルデータのようなもので、細胞が増える時にDNAが複製されます。
現在、私たちの身の回りにも音楽、写真、映像、文学、ソフトウェアといったデジタルデータが溢れています。
デジタルデータには、容易に複製が可能で、複製しても劣化しないというメリットがありますが、資本主義社会では、そのメリットは全く生かされていません。
食料なら、分けあっても全ての人にまで行き渡らないということが起こり得ますが、自分が欲するデジタルデータにアクセスできないというのは、資本主義の都合、つまり作者が創作物によって利益を得るべきだという固定概念に他なりません。
生体社会では、デジタルデータは原則として、自由に複製し、楽しむことができます。
生体社会でも、優れた作品の著者がより多くの利益を得るべきだと考えますが、それを実現する方法は、ダウンロード数、投票、専門家による評価などいくつも考えられます。

このように、生体社会論は様々な応用が可能で、ここで紹介した内容は一部分に過ぎません。
この論に基づく社会が実現すれば、現在私たちが抱えている数多くの問題が解決します。
夢のある話だと思いませんか?
この生体社会論の考え方が広まれば、理想的な社会が実現するかもしれません。
民主主義の国に住む私たちにはそれが可能です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。